★ 【悪の華】ブラッディ・マリー、目を覚ませ ★
<オープニング>

 絶望とは――時に甘美なものだ。
 絶望の土壌に、悪の華は咲く。
 ああ、愛しているとも、希望の星ぼしを。
 しかしソレは、絶望に抗うための理由にはなれない。


 一ヶ月ばかりの入院生活から、竹川導次が戻ってきた。彼がすぐにでも向かうべき悪役会事務所はすでになくなっていた。いや、あるにはあるのだが、まともに機能しているとは言えない。ドウジはタクシーでミッドタウンのとあるバーに向かった。ドウジが入院してからというもの、めっきり数を減らした悪役会のメンバーの多くは、このバーに入り浸っていた。
 ケイン・ザ・クラウンやケイ・シー・ストラといった、独自の配下を持つ悪役スターは、事務所が入っていたビルをなくしたために今もまともな住居が見つかっていない。もっとも、両名とも野営を苦にしなかったりテントを所有していたりで、さほどストレスは感じていないようだった。
 彼らの衣食住の面倒を見るのも、ドウジは自分の役目だと思っている。すぐにでも手配してやりたいところだったが、しかし、今は真っ先にやるべきことがあるのだ。
「ムービーキラー『フランキー・コンティネント』の首をとる部隊をつくることになった。コードネームは<スティンガー>」
 銀幕市にあらわれた、映画の中の悪。それを御するのは、悪役会の務め。
 ドウジの部下たちによって、静かに銀幕市に放たれた、正義の人びとへの出動要請。
 それに気づき、それに応じた者は、確かに、いた。


「ムービースターもおるが、皆問題はわかっとるようやな。ええやろ」
 バーに集まった顔ぶれを見て、ドウジは満足げに紫煙を吐いた。
 彼が言う『問題』とは、ムービーキラーと化したフランキー・コンティネントの能力だ。もともと彼には、ヴィランズを惹きつけてやまないカリスマ性があった。おそらくこのカリスマは、もともと彼の「能力」と言ってよいものだったのだろう。悪役会の勢力を二分化してしまっていたほどなのだから。そのカリスマが、ネガティヴパワーによって増幅したか――あるいは暴走した結果、見る者すべてを完全に支配してしまう、危険なモノになってしまった。
「ヤツは今、スターヒルズ・ホテルでいっとうエエ部屋に泊まっとる。どういう目的でさらったんかはわからんが、ミランダもココにおるやろう。ホテルは30階建てで、フランキーの部屋は29階や。20階から上の部屋は、『赤い目の客』でうまっとるちゅう話や。先週対策課に頼んで、ホテルの営業はストップさせてもろうとるが……ストラ」
 カウンターに寄りかかる黒ずくめのテロリストが頷いた。
「定期的に偵察と情報収集を行っているが、正面出入り口・裏口・非常口いずれからも人の出入りはない。しかし、ホテル内の人数は増え続けている。現在、200名あまりがホテル内で生活している模様だ」
「え、え、なんですかそりゃ。だあれも出入りしてねえのに、ホテルのお客が増えてるってんですかい」
 全員の疑問を代弁したのはケイン・ザ・クラウンだ。
「地下を経由しているのかもしれない。われわれはフランキーから下水道の地図を受け取り、ソレをもとに以前の作戦を立てている。コレは推測だが、ホテルの地下に穴を掘っていたとすれば――下水道を経由し、銀幕市全域から『仲間』や生活物資を集めることも可能だ」
「ムービースターから行方不明者が出とらんか調べとるが、まあ、この街じゃあ人やモノが消えたり現れたりは日常茶飯事やさかい、ハッキリせえへん」
「しっかし、ソレは弱りましたなあ。フランキーをやっつけたら元に戻るにしても、取り巻きが200人いるんじゃあ……」
「フランキーが目標地点から動いていないという確信はないが、部隊を分けるのもひとつの手だ」
 フム、とドウジは思案に暮れて、煙管から立ちのぼる煙を睨む。ストラはウオッカをショットグラスで注文していたが、飲むそぶりは見せていなかった。ケイン・ザ・クラウンはオロオロしているだけだ。
 と、そこへ――
「あ゛アァァァァ! おがじら、おやびん! た、たいへんですだよおおおお!」
 バーのドアをブチ破る勢いで、ケインのサーカス団の副団長が転がりこんできたのだった。そしてストラと梛織とドウジが、小さく短いうめき声を上げ、こめかみを押さえてその場に崩れ落ちた。


 見よ、絶望と悪の華の種子が、まさに芽吹く。


 スターヒルズ・ホテルの窓を破り、名状しがたい蟲のような生物が、何十匹も現れた。蟲どもは外壁をカサカサと声もなく駆けずり回り、糸を吐き散らす。周囲はオフィスやホテルが密集していた。夜が深まり始めてからの出来事だったが、スターヒルズ・ホテル周辺はパニックに陥った。ホテルはアッと言う間に蜘蛛の巣か繭のようなモノに覆われたのだ。
 ホテルからは蟲じみた化物が飛び出し、周囲のビルや通りにいた一般人が、スターもファンもエキストラも問わず、『巣』の中に引きずりこまれていく。捕獲者たちは皆一様にギラギラと赤い目を光らせて、無言のうちに人びとを捕らえていくのだった。
 凄まじい混乱はものの数分で終わった。スターヒルズ・ホテル周辺には避難勧告が出され、ナゾの蟲どもも周囲から人影がなくなったと見るや、すぐにホテル内に退いたのだ。
 数分前までの悲鳴と足音がウソのように、糸に絡め取られたスターヒルズ・ホテルは沈黙する――。


「かア……なんや、今の……」
 カウンターに突っ伏していたドウジが、もみあげのあたりを掻きながら毒づく。
「……問題ない。すまない、突然頭痛が……ひどい痛みだった」
 ストラは白い顔をさらに蒼白くしていたが、軽く首を振ってから立ち上がった。そして、ずっと手をつけていなかったウオッカをひと息にあおる。
「スターヒルズ・ホテルで今起きたことと、関係あるんじゃねえべか。フランキーが、何かやらかしたんじゃねえですか。あたしたちはなーんにも感じませんでしただ」
「せやな。俺たちが動き出したってえことを、向こうも知っとるんやろう。あの野郎も動き出した。宣戦布告ちゅうわけや」
 ドウジは煙管を手に叩きつけて灰を落とし、カウンター席から立つ。
「さっきストラが言うとったが、部隊をふたつに分けよう思う。フランキーの討伐自体もそうやが、ホテルに近づいて中に入んのも一筋縄じゃあいかん様子や。フランキー討伐と取り巻きの対処、どちらかに専念したほうがええやろ。もちろん、スターがフランキーを相手取るのはやめといたほうがええ。かと言って、フランキーが外に出てこないっちゅう確証があるわけでもない。ココでよう作戦練って、準備万端整えてから……カチコミ本番やな」
 ドウジはゆっくりと、その場に集まった面々を見回した。
 彼が頼んだウイスキーのグラスの中で、氷がパキリと音を立てて真っ二つに割れた――。




種別名シナリオ 管理番号889
クリエイター龍司郎(wbxt2243)
クリエイターコメント「間を置かずに次出します」と言いましたが、銀幕市でいろんなイベントが目白押しだったため結局間が開いてしまいました。すみません。ドウジ親分も無事退院し、いよいよムービーキラー・フランキーの討伐作戦が始まります。
ご参加される皆様は、タクシー乗り場から行けるフランキー討伐部隊≪スティンガー≫http://tsukumogami.net/ginmaku/app/article.php?act_list=true&Xbno=121 にて、相談のうえ作戦を立ててください。プレイングによっては作戦が失敗する可能性があります。一応親分が募集の際に「相談推奨」と説明しておりますので、私は皆様納得されたうえでの志願とみなしております。ヨロシクお願いします。
基本的に『銀幕★輪舞曲』というゲームは参加者同士の相談を行わない、行わなくてもまったく問題ないゲームですが、たまにはこういった趣向のシナリオがあってもいいんじゃないかと思っての展開となっております。
なお、ドウジ、ストラ、梛織さん(PC)の3名は、ホテルに異変が起こる直前に頭痛を感じております。共通点はおわかりでしょう。今後、特に支障はありませんのでご安心ください。

こちらの『ブラッディ・マリー、目を覚ませ』は、フランキー討伐チームのために血路を開くシナリオになります。
現在、フランキーが棲みついたスターヒルズ・ホテルは、ナゾの糸に包まれております。周辺の住民は避難しておりますが、突然現れた蟲みたいなクリーチャーによってさらわれた人も多数いるようです。蟲の襲撃は一瞬の出来事であり、具体的にどういった存在なのかはまだよくわかっておりません。
情報によれば、フランキーに支配されたおよそ200人のムービースターがホテル内に立てこもっているようですが……。
こちらのシナリオは主にホテル周辺や低い階層での活動になります。フランキーの出現率は低いですが、それでも、ムービースターのPC様は充分お気をつけください。皆様のプレイングによって展開はいくらでも変わります。
ストラとケイン・ザ・クラウン、ドウジ親分は指示があれば従います。特に指示がなければ、バーで待機しています。

それでは、ご武運を!

参加者
太助(czyt9111) ムービースター 男 10歳 タヌキ少年
クレイジー・ティーチャー(cynp6783) ムービースター 男 27歳 殺人鬼理科教師
梛織(czne7359) ムービースター 男 19歳 万事屋
真船 恭一(ccvr4312) ムービーファン 男 42歳 小学校教師
エルヴィーネ・ブルグスミューラー(cuan5291) ムービースター 女 14歳 鮮血鬼
ジャック=オー・ロビン(cxpu4312) ムービースター 男 25歳 切り裂き魔
リカ・ヴォリンスカヤ(cxhs4886) ムービースター 女 26歳 元・殺し屋
イェータ・グラディウス(cwwv6091) エキストラ 男 36歳 White Dragon隊員
風轟(cwbm4459) ムービースター 男 67歳 大天狗
コレット・アイロニー(cdcn5103) ムービーファン 女 18歳 綺羅星学園大学生
<ノベル>

 ――データ閲覧――

 2008/1/15 23:00 更新
 ムービーキラー『フランキー』討伐部隊
 コードネーム〈スティンガー〉
 登録者リスト

 竹川 導次(crbv1703)
 ケイ・シー・ストラ(cxnd3149)
 ケイン・ザ・クラウン(cnwe4072)

 リゲイル・ジブリール(crxf2442) 流鏑馬 明日(cdyx1046)
 ヴェロニカ(csat8734)  小日向 悟(cuxb4756)
 赤城 竜(ceuv3870)  月下部 理晨(cxwx5115)
 原 貴志(cwpe1998)  片山 瑠意(cfzb9537)

 イェータ・グラディウス(cwwv6091)  太助(czyt9111)
 梛織(czne7359) エルヴィーネ・ブルグスミューラー(cuan5291)
 クレイジー・ティーチャー(cynp6783) コレット・アイロニー(cdcn5103)
 ジャック=オー・ロビン(cxpu4312) 風轟(cwbm4459)
 真船 恭一(ccvr4312) リカ・ヴォリンスカヤ(cxhs4886)

 2008/12/26 23:00
 作戦開始

 2008/12/27 2:44
 状況終了


 詳細を表示しますか? →YES / NO


                     ★   ★   ★


 竹川導次とケイ・シー・ストラは、18人の隊員から受け取った作戦概要に目を通して、それから、調達された物資に目をやった。18人の出で立ちを見てもドウジは特に何も言わなかったが、ストラは微妙に怪訝そうな表情だった。
「その格好はなんだ? わが同志として迎え入れろとでも?」
「冗談はよしな、ロシアン・ドッグ」
「そのとおりよ、とんでもないわ。あんたたちなんかと組むのはコレが最後!」
 ヴェロニカとリカがほとんど反射的に否定した。
 ストラがそんなことを言ったのもムリはない。〈スティンガー〉の隊員18名全員が、テロ集団『ハーメルン』と同じ格好をしていたのだ。黒い迷彩柄のアサルトスーツに防弾ベスト、そしてS10レスピレーター。銃のかわりにファングッズをたずさえている者もいるが、あたかも『ハーメルン』のメンバーが一夜にして2倍になったかのような光景だった。
「アサルトスーツは確かに丈夫で熱にも強い。ベストは戦場では必需品だ。しかし、われわれに合わせる必要があったのか。いや、この際ハッキリ訊くとしよう。なぜ貴様らはわれわれの装備を選んだ?」
「え? あ、えっと……ソレは……」
「なんでだっけ?」
「概要に書いてなかった?」
「誰ひとりとして理由を書いていない。……まあ、ソレはいいとしよう。百歩譲ってな。問題はアレだ」
 ストラは作戦概要書をヒラリと振ったあと、リゲイルが手配した無人ヘリをアゴで指した。無線で操縦する小型のヘリだ。
「アレでなにをするつもりだ?」
「陽動にと思って」
 隊員の答えに、ストラは溜息をついてかぶりを振った。
「われわれが1階で陽動し、貴様らはそのスキに魔法で飛んで屋上から侵入するのだろう。ヘリのローター音がどれほど大きいか知らないハズもあるまい。ヘリなど飛ばせば上空からも接触があるとバカでも気づく。1階でわれわれが陽動する意味はどこに消えた?」
「あ……」
「そしてヘリを誰が操縦するかも誰ひとりとして名乗りを上げていない。われわれが操縦するのか? そのような指示は受けていないぞ。仮に指示を受けていたとしてもおそらく却下していた。前途多難とはこのことだ」
「そんなに言うなら、あんたも作戦会議に参加してくれりゃよかったじゃないか。プロなんだろ?」
 思わず瑠意が口答えした。ストラは刃物のような視線を瑠意に返す。エルヴィーネは――彼女はハーメルンの格好をしていても、傘を手放していなかった――これみよがしに小さく溜息をつく。しかしストラが瑠意になにか言う前に、ケイン・ザ・クラウンがアタフタと間に割って入った。
「ままままま、気が立っているのはわかりますが、今はもうやるっきゃねえんでごぜえますよ。ケンカするならあとです、あとあと! 今は仲良く頑張るときですだよぉ。ハーメルンのこすぷれする理由なんてそんなに大切じゃねえんでしょうし、ヘリは必要ないなら飛ばさなきゃいいんでごぜえますだ。よろしゅう?」
「大丈夫ですよ、ケインさん。ケンカじゃないです。片山さん……、こうしてちゃんと指摘してくれるってことは、ストラさんも真剣に今回の作戦について考えてくれているってことじゃないかな。――ストラさん、他になにか気になる点はありますか?」
 やんわりと、ケインに続いて悟がフォローに入った。
「成功の是非は貴様らの連携にかかっている。また、若干強引と感じる部分もあるが、おおむね問題はない。あとは各自が命を落とさなければ、ソレでいい」
「……なあ、すとら。おまえらはーめるんもちゃんと全員生きのこれよ。そういうふうに命令しろよ、な?」
 太助の言葉に、ストラは無表情でウインクした。
「そーだヨ! 帰ったらボク、エンドレス無尽蔵チョコ生産マッスィーン作るんだ! ミンナ元気に笑顔でチョコパーティーさ、OK?」
「あぁ、いいねぇ。実にいい。すばらしいよ、チョコレートでパーティーなんて、夢みたいだ!」
「ネー!」
 クレイジー・ティーチャーとジャック=オー・ロビンの殺人鬼コンビは、ふたりとも甘党だった。無尽蔵とエンドレスとは意味が重複していないだろうか、と教育者として真船はツッコミたかったが、空気を読んだ。
「ほな、準備はええか?」
「いつでもいいぜ」
 ドウジの声にイェータが答え、理晨に目配せした。理晨はイェータの目を見つめ返し、強く頷く。
「よっしゃ。行くぞ!」
「おうよ!」
 赤城がぐるりと肩をまわして、人一倍大きく気合を入れた。気合が勢いあまって、ほとんど無意識に、隣にいた原の背中を叩いていた。ぼぅんと鈍い音がして、体力に自信がある原も軽く前につんのめる。
 ごおう、と猛々しい風が吹いた。
 誰よりも大柄な背中から、白い大きな翼が生えている。仮にガスマスクをかぶっていたとしても、その黒い迷彩服の男が風轟であることは一目瞭然だった。
 スターヒルズ・ホテルは、すぐそこにある。


 頭痛はもう感じない。
 梛織は、アズマ研究所から調達したゴールデングローブを握りしめた。自分のために持ってきたのではない。フランキーに連れ去られ、安否もさだかではないミランダのために持ってきた。
 ミランダ。
 梛織は彼女を助けたかった。彼女を知っている。DVDで彼女の殺陣を見た。ここ銀幕市で出会ったときには、彼女はすでにミランダではない怪物になってしまっていた。ムービーキラーとなったムービースターを救う手立てはない。しかしそれは、「今のところ」ないということにすぎない。前向きに考えようとした。
 今は彼女のためなら、なんでもできる。彼女は恋人でも家族でもないけれど、彼女のためなら……。
「梛織さん、これ」
 原が、天狗の隠れ蓑を梛織に差し出した。
「梛織さんはイェータさんと一緒に28階に行くんでしたよね。道中、よろしく」
「あ、あぁ。こっちこそ」
 天狗のなんたるかをよく知らない梛織にとって、隠れ蓑はただのワラ束のように思える。いっぽう、原は純粋な日本男児だったので、天狗の力はほぼ無条件に信頼していた。かさばる隠れ蓑を着こみ、深呼吸する。
「なんだか……すごく大きく見える……」
 無数の細い糸にくるまれたスターヒルズ・ホテルを見上げ、コレットはつぶやいた。
 もしかしたら、自分が小さくなっているだけなのかもしれない。自分は無力で、ここにいる誰よりも頼りなくて――。
 ふと、彼女の視界をつややかな黒がかすめた。迷彩服や防弾ベストの黒ではない。長い、女の、黒い髪の毛が、風轟の起こす風でなびいているのだ。
 黒い髪の持ち主は明日だった。明日はなにも言わず、いつもの無表情で、P230のマガジンに実弾が入っているのを確認し、装填して、スライドを引く。
「行こう、パル」
 明日はつぶやき、風轟から受け取った羽団扇を振った。
 風が起こり、18人の身体がフワリと浮き上がる。そして、ホテルを覆う細かな糸も、音もなく風に揺られていた。


(街の希望が、すぐそこまで近づいてきている。私にはソレがわかるようだ。彼らは正義だ、私を倒すために存在している。ミランダ、きみにもわかるだろう)
(わたしは、邪悪では、なかった)
(そう、かつては。さあ、始めよう)


 スターヒルズホテルは、銀幕ベイサイドホテルに並ぶクラスの高級ホテルだ。海沿いのベイサイドホテルに景観の点で劣るものの、25階から30階の高層部を占めるプレジデンシャル・スイーツの豪華さではまったく引けを取らない。
 しかしそれも、過去の話になりそうだった。
 ホテルは蜘蛛の巣に包まれているようにも、白カビに覆われているようにも見える。細かな糸がでたらめに織り成したヴェールを通して、ホテルの外観はうっすらと見て取れた。
「今、ホテルの上空よ。全員いるわ。敵もいないみたい」
『ダ・ヤア。こちらも突入準備は整っている』
 リカの報告に、地上からストラが答える。
 風轟が風力を調節しつつ誘導したおかげで、普通は空など飛べない者も、すんなりと屋上に到達できた。
「じゃ、ボクがお先に降りるね。ジャマそうだから、糸を払っておくよ?」
 そう言うジャックに、
「僕も微力だが手伝おう」
 真船が助力を名乗り出て、ディレクターズカッターを取り出した。
 ふたりは真っ先に屋上に降りた。降りる前に、バシッ、とジャックの身体から鋭利な音がした。ジャックの腕と脚から、無数の刃が生えたのだ。片刃で細身の刃物たちは、日本刀やサーベルの刀身のようだった。
「おっ、と」
 真船は思わず肩をすくめて、ジャックの刃物の間合いから離れる。
 ジャックの刃物とバッキーの力は、あまりにもたやすく糸を切り裂いた。糸にはほとんど粘着性はなかったし、単なる蜘蛛の糸のように脆いものだ。ジャックが舞うように2回転し、真船が何度かディレクターズカッターを振るっただけで、残りの隊員が降りるスペースが出来上がった。
 風轟が無線マイクに向かって、必要以上に大きな声で叫ぶ。
「全員無事に降りたぞ!」
『ダ・ヤア! 突入する。ジェラーユ・ウダーチ!』
 ホテルの下で、爆音がした。
 ハーメルンが手榴弾を投げたのか? ドウジの手下が手製の爆弾でも投げたのか? ソレを確かめる必要はなかった。ジャックが刃で、リカが火炎放射器で、階段までの糸を薙ぎ払う。
 銃声が聞こえてきた。わけのわからない怪物の叫び声も。すべて、地上から聞こえてくる。時折ホテルがかすかに揺れるのがわかる。
 リカは電話を取り出して、フランキーの番号を呼び出した。
 しばらく反応がなかった。
 無言でリカは仲間たちを促す。リカが先頭をつとめていたが、フランキーの応答を待つ間に、太助が階段につづくドアの向こう側に閃光弾を投げこむ。爆発音を確認してから、イェータと理晨、そしてヴェロニカが階段に続くドアを開けて、銃を構えながら中に滑りこんだ。
「クリア!」
 一般的な日本人なら映画でしか聞かないような台詞は、ヴェロニカのものだ。
 電話を耳に押しつけたまま、彼女たちにつづこうとしたリカは――そこで一声を放った。
「待って!」
 フランキーが電話に出たのだ。
 いや、誰かが出た、というべきか。ガチャリと回線がつながった音はしたが、相手から言葉はなかった。息遣いさえ、聞こえない。
「ハイ、リカよ。フランキーでしょ? わたしのこと、覚えてる?」
 やはり、反応はなかった。
 リカの後ろと前では、仲間たちがあたりを警戒しながらも、電話のやり取りに聞き耳を立てている。
「ゲームしましょうよ。バカラなんてどう?」
『……ああ、ソレはいい。バカラか……』
 ラジオのチューニング音のような奇妙な雑音まじりで、男の声が、返ってきた。雑音のせいでハッキリしないが、フランキーの声に似ていたとは言える。それに、バカラをこよなく愛していた男なら、こんな反応をしてもおかしくはないだろう。
「部屋にいるのね。今から行くわ、階段を上って」
 先頭に立つイェータ、理晨、ヴェロニカが、リカや後方の仲間に向かって頷く。階段に敵らしき影はない。ただ、どこもかしこも白い糸に包まれていたが。
 リカは3人に続いた。さらに、フランキーとの直接対決に臨む8人が続く。屋上に太助とクレイジー・ティーチャー、ジャックと真船の4人だけを残して、〈スティンガー〉の面々は階段をソロソロと下り始めた。
「ねぇ、フランキー。カジノオーナーから女王蟻に転職なんて、ずいぶん思いきってイメージ変えたじゃない。いったいどうしたの? なにがあなたをそこまで変えさせたのかしら」
『……ウソをついているな……』
 リカは思わず、足をとめた。他のメンバーもなにごとかと階段の途中で立ち止まる。
『……あまり感心しない……。ウソは邪悪だ……。リカ、きみの後ろから、銃声が聞こえないよ……。きみは1階にはいない……そうだろう……ウソをついているな……私は許しても……私の仲間は、許さない……バカラは……最高なのだが……』
 リカは通話を切った。
 ザワワ……ザワザワザワ……ザワ。
 音が聞こえたわけではない。しかし、空気は少しずつ少しずつ、ズレるようにして変わっていく。
「なんだかヤバそうだ」
 虚空に目を泳がせて、梛織が全員の気持ちを代弁した。その、一瞬の嫌な沈黙を、ストラの警告が打ち破る。


「敵の半数が動いた! 上へ向かっている。壁を這い登っていくヤツが……イズヴィニーチェ、数が多すぎて把握しきれん! われわれが囮であると気づかれたぞ! 可能な限り食い止めるが――」
「うわわわぁっ、飛んだ! 飛んでるですだよおっ、こいつら飛びやがりますあああ!」
「――緊急報告、一部の敵は飛行能力を有する! 上からも行くぞ、挟み撃ちにされる前に目標に到達しろっ! ――ハーメルン、総員弾幕を張れ! ヤツらを釘付けにしろ!」
「ダ・ヤア!」
「ダ・ヤア! 撃ちまくれ!」
 ホテル1階は、文字通りハチの巣をつついたような大騒ぎと修羅場だった。
 突入はケイン・ザ・クラウンの命令で、ふたりの大道芸人が火を噴きながら先行した。彼らにつづいたのは、肉体は脆いが基本的に不死身なゾンビ団員だ。ケインも転がるようにして、ハデなステッキ片手に飛びこんだ。
 そして異形の蟲どもが、サーカス団とハーメルンを出迎えた。
 人間とほとんど同じ大きさの、しかし図鑑にも載っていなさそうな、いびつな蟲ども。ほとんどはクモやムカデに似ていた。ゾンビは喰われながら喰い返し、ハーメルンはアサルトライフルやショットガンの実弾で挑む。竹川導次が率いる悪役会はしんがりを務めていた。
 ホテルのロビーの備品はそのままだった。立派なソファーも、大きなフロントも、何もかもが白い糸に覆われていた。戦いが始まってから、黒いロビーはたちまち赤黒く染まっていく。
 赤い。
 サーカス団の血ではなかった、ゾンビの血は腐っていてどす黒い。ハーメルンの血でもなかった。まだ誰も深い傷を負っていない。だが、ゾンビが蟲の肉を噛みちぎり、ハーメルンが発砲するたび、血は飛び散った。
 人喰いモンスターのケインはすぐに察した。コレは、人間の血だ。ムービースターのものか、それとも人間のものなのか、そこまでの区別はつかない。けれど、確かに蟲どものほとんどはヒトの赤い血を流している――。
 しかし、数え切れないほどの蟲の相手をしている彼らに、血のことを気にかける余裕はなかった。
 そんなときだ、ほんの数秒ばかり蟲たちがその動きをやめてから、陽動班に背を向けて、明後日の方向に走り出したのは。
 1階から突入した悪役会が囮であると、敵が気づいたのだ。
 バキバキと異様な音を立てて鞘羽を開き、飛び立つものもいた。
 入り口の自動ドアをブチ破って飛び出しかけた蟲を、ドウジが長ドスで斬り落とす。しかし、次から次へとガラスを割ってホテルの外に飛び出す蟲のすべてを、しんがりの悪役たちがさばききれたワケではなかった。
「4体! いや5体だ、敵が外に飛び出した! 屋上を目指しているぞ、注意しろ!」
「どわぁぁあ、こっち向かってくるのもいますだ、あたしらを見逃してはくれねえようですだよぉああああ!」
「把握している! わめくな!」
 ストラはケインに飛びかかろうとしていた蟲にガリルARMの全弾をお見舞いした。血と骨のカケラをぶちまけながら、蟲はケインの帽子にも触れられず床に落ちる。
「ゥワアッ……!」
 ストラの斜め後ろでくぐもった悲鳴。
 ストラがガリルを捨てて振り返ると、ガスマスクのひとりが、蟲に飛びつかれて倒れるところだった。ストラは銃を使わなかった。蟲の脚と脚の間、胴の横めがけて、すくい上げるような蹴りを放つ。一撃で蟲は腹を向けて床に転がり、近場にいたガスマスクがむき出しの腹にショットガンを撃ちこんだ。
 グシャッ、と散弾で潰された肉と内臓が飛び散る。倒れたガスマスクはすでに起き上がっていた。
 そして、3人のテロリストは息を呑む。
 散弾で死んだ蟲の腹には、人間の男の顔が半分だけ浮き上がっていた。白目を剥き、苦悶に満ちた表情だった。
「リーダー……、見覚えのある顔です……」
「ああ。悪役会で世話になったな」
「まさか、この蟲は――」
 そう呟いたガスマスクの後ろに、天井を這ってきた蟲がドサリと降り立つ。背中から、人間の男の腕が1本飛び出していた。腕には、和彫りの刺青がびっしりと入っていて……。
 ハーメルンが反応するよりも早く、サーカス団のゾンビがその蟲に襲いかかった。
 しかし、安堵するヒマはない。ストラは、異様なモノが、あまりにもすばやく近づいてくるのを感じ取った。
「3時の方向に注意! 速いぞ!」
 ガリルを拾うのは間に合わない。ジェリコを抜いて右に走ったストラは、蟲が持つにはふさわしくない、刃の光を目の当たりにした。
「リーダー!」
 そして、ガスマクのひとりの凄惨な悲鳴。


 ストラの警告からわずか10秒。
 スターヒルズ・ホテルの屋上に、5匹の異形の蟲が飛来した。カブトムシでもゴキブリでもない、不気味な姿の蟲だ。屋上に陣取っていた太助は、その姿を見た瞬間総毛だった。クレイジー・ティーチャーは逆に歓声を上げた。やっと暴れられる。
「ォオ待ちしておりましたヨォオオオオーッッ、ヒャッハーァァアア!!」
 つい1秒前までは持っていなかった大ハンマーで、殺人鬼は迎撃した。飛行の勢いを倍以上の力でカウンターされ、蟲の1匹はたちまち潰れながら星になった。
「おやおやおや……」
 ジャックもバシャリとすべての指を刃物に変えて、襲ってきた蟲を迎え撃つ。ほとんど一瞬で、蟲は無数の赤いサイコロに変わった。ベチャベチャと落ちるその音や色や匂いに、ジャックもクレイジー・ティーチャーも、馴染み深い興奮を覚える。まるで人間だ、人間の血と肉だ……。
「おうりゃっ!」
 太助は華麗な宙返りでスズメバチじみた蟲のアゴをかわす。地面に着地した太助の姿は、少年でもタヌキでもなかった。ガスマスクをかぶった、黒づくめのテロリストだ。
 長い足で繰り出したハイキックが、巨大なスズメバチを叩き落とす。
 息つく間もなく、背後からコガネムシじみた蟲が飛んでくる。振り返って殴るヒマはない。裏拳で叩き落とした。太助が落とした蟲は、ジジジと翅を震わせ、フラフラになりながらも身体を起こした。しかし、今にも飛び立とうとした蟲は、二度と飛ぶことはなかった。真船がディレクターズカッターで一刀両断にしたのだ。
 残るは一匹。
 ソレはどんな蟲にも似ていなかった。
「……!?」
 太助と真船が一瞬だけ見たその蟲には、顔があった気がする。男の顔だった。しかし。
 10本以上ある脚が、4枚の翅が、一瞬で胴体から斬り離された。イモムシのようになってしまった蟲は、ホテルの屋上に落ちることはなかった。クレイジー・ティーチャーがすかさず大ハンマーで殴り飛ばしたからだ。またしても、汚い星が空で輝くことになった。
 真船は眼鏡を上げて顔の汗をぬぐった。
「ふう、どうやらひとまず片づいたようだが……」
「なんだヨなんだヨー、ぜんっぜん物足りナーイ! もっと来てくれればイイのに! ボクらは楽しいし下のミンナはラクだし、イイことづくめじゃないカァ!」
「……先生……」
「その意見にはまったくもって賛成だけれど、ちょっと予定が狂い始めた、かな? もう少し陽動に引っかかってほしかったのにねぇ。脱出口を開けておくよ」
 ジャックが指の刃を伸ばし、屋上の床――30階の天井を切り裂き始めた。
 太助は、ほんの一瞬だけ見た『顔』が気がかりで、真船がしとめた蟲を、そうっとつまんでひっくり返す。
「ぅ、あ……」
 太助は弾かれたように立ち上がり、後ずさった。どうシタの、とクレイジー・ティーチャーが顔を突き出す。
「あ……」
 太助は答えられない。
 ソレを覗きこんだ真船も、それきり息を呑んで、言葉を失った。
 潰れた蟲の腹の裂け目からは、哺乳類の腸にしか見えないものがドロリとはみ出している。そしてその腸に、上半分だけの人間の顔が埋もれていた。赤い目をした……ガラの悪い男の顔だ……。


 1階と屋上から警告を受けつつ、フランキー討伐隊のほとんどは、現在、ホテル30階にいた。イェータ、理晨、梛織、原、瑠意が、階段に敵影がないことを確認してから下のフロアへ駆け下りていった。コレットは、スチルショットを抱えて、30階と29階の間の踊り場で待機した。
 見取り図によれば、プレジデンシャル・スイートルームは、30階と29階でほぼ同じ間取りになっている。今はホテルの誇りであった贅沢な様相も失っていた。白い蜘蛛の糸が、これでもかと言うほどなにもかもを覆っている。
 見た限りでは、糸に包まれてはいるものの、ホテルの内部そのものが変容した様子はない。見取り図に記されたとおりの位置に、エレベーターと通気口があった。エレベーターは電源が落ちていて、1階で止まったまま動かせそうになかったが、コレはほとんどの者が予想したとおりだった。なにもかもが見取り図のとおりであってくれれば、エレベーターシャフトも通気口も、29階に通じているハズだ。
「とりあえず順調ね。でも、じきににぎやかになるわ。できれば、ここが静かなうちに片づけたいところだけれどね」
「予定通り、あたしたちはここから行くわ。……リガ、準備はいい?」
 明日に問われて、リゲイルは頷いた。おんぶ紐で身体にくくりつけたバッキーと一緒に、スチルショットを抱きしめる。
 ふたりはエルヴィーネの力を借りて、通気口にもぐりこんだ。けっして広いとは言えないその空間も、白い糸に侵食されていた。
 エレベーターは、赤城と風轟が力任せにこじ開けた。
 ゴヒュウウウ、と底から生ぬるい空気がせり上がってくる。嫌なニオイがした。腐敗した水のような。
「降りてる最中にエレベーターが上がってくる……なんてホラー映画みてぇなのはナシだぜ。どうせ使わねぇんだ、切っちまおうや」
「賛成だ。ちょっとどきな」
 ヴェロニカがM4をワイヤーに向けた。アタッチメントとして小型ショットガンを装着した、マスターキーと呼ばれるバージョンだ。太いエレベーターのワイヤーも、アサルトライフルの連射でアッサリちぎれた。
「そんじゃ、行ってく――うおっ!」
 赤城と悟とヴェロニカが、風轟の団扇でシャフト内に降りようとしたとき、異変は起きた。30階のどこかで窓が割れる音がしたのだ。
 壁を這い登ってきた蟲どもだ。思った以上に彼らの動きが速かった。
「行きなさい! 露払いは私たちの役目よ」
 スイートルームのドアを破り、醜い多足の蟲どもが廊下になだれこんでくる。天狗の隠れ蓑のおかげか、すぐそばを素通りする蟲も多かったが、気配か体温かを察知しているのか、まっすぐ討伐隊を目指してくるモノも少なくない。エルヴィーネはXM8をフルオートで連射した。その反対側の廊下を、リカの火炎放射器の業火が舐める。赤城と悟とヴェロニカはエレベーターシャフト内に飛びこんだ。風轟も後を追い、シャフトの内側からドアを閉める。
 暗闇に閉ざされたシャフト内を、機転を利かせて、悟が火炎放射器の炎で照らしだした。
 幸い、シャフト内に蟲は侵入していないようだ。
「少し、気になるんです」
 炎の灯の中で悟が言う。
「30階にはなにも……誰もいなかった。200人以上のムービースターが、フランキーを守ってるハズなのに。蟲にさらわれた人たちの姿もありませんでした。まるで……このホテルには、蟲しかいないみたいだ」
「フン、気を遣わなくてすむぶん、ムシだけが相手のほうが楽だけどね。どこほっつき歩いてンだか……まさかボスがいる29階にみっしりなんてこたァないだろうねぇ? ソレはソレで厄介だ」
「なーに、俺たち4人だけで進むワケじゃねぇ。みっしりしててもなんとかなるさ!」
 ヴェロニカも赤城も、楽観視しているワケではない。ソレは、悟にも伝わっている。
 悟は闇を降りるわずかな間、フランキー・コンティネントの考え方を読もうとした。しかし、できなかった。フランキーと同調しようとしても、心がぽっかり開いた暗黒の深遠の中でさまようだけ。
 なにもない。
 望みも、目的も、動機も。


 階段組の戦闘は熾烈を極めた。ひどい有り様だった。蟲だらけだ。イェータと理晨の傭兵組は、アサルトライフルを持ってこなかったことを少しだけ後悔した。ハンドガンとナイフでももちろん戦えるし、むしろイェータはナイフコンバットに長けているのだが、蟲は虫と言うには大きすぎ、数は多すぎた。
 撃っても斬っても、飛び散るのは赤い血だ。
 前線で戦うイェータと理晨も無傷ではなかった。どれが誰の血なのかわからない。それでも、5人は確実に階段を下りている。
「このぶんだと、階段を爆破するだけでは不充分です!」
 後ろからP226を撃ちながら、原が叫ぶ。耳障りで異様な蟲の鳴き声と銃声が、ひとりの人間の声をかき消しそうだ。
「Bのトリモチだ! 死体も使ってふさいじまえばいい」
 イェータが襲いかかってきたムカデじみた怪物を蹴り飛ばし、武器をナイフからグレネードランチャーに持ち替えた。グレネードランチャーとは言っても、弾はクレイジー・ティーチャーお手製のトリモチ弾だ。彼にはアズマ研究所に引けを取らないトンデモ科学兵器を作り出す才能がある。
「とりあえず先に爆破しとくぞ!」
 蟲の群れをヒラリと飛び越えて、梛織が28階の踊り場にすばやく爆弾を仕掛けた。トリモチ弾を手にした3人がいったん引いたのを確かめてから、梛織は起爆スイッチを押そうとした――そのときだ。
『警告……ッ、注意しろ、厄介なヤツが……階段に向かっ……がふッ!』
「ストラさん! どうしました!?」
 数分ぶりに入ったストラの報告は、咳と苦痛混じりだった。原は顔色を変えて訊き返す。
『不覚だ……ピエロも含めて……、陽動班の大部分が蹴散らされた。動きが違う……速いぞ……』
「ケガをしたんですか!?」
『止血中だ……、済めばまだ動け――ドミトリ!? ドミトリ、しっかりしろ!』
『リーダー! 動いちゃダメです! あぁ、血が……』
 ガタゴトと激しい雑音が入って、それきり通信が途絶えた。原の戸惑いと不安が、理晨の大声で打ち砕かれる。
「梛織、爆破しろ! ――なにか来る!」
 ソレを見たのは、前衛に立つ理晨だけだった。イェータがすばやく理晨の前に出て彼をかばう。梛織は踊り場に設置した爆弾を起爆した。
 階段が揺れ、バラバラになった蟲とコンクリートの破片が飛び散る。もうもうと立ちこめる、白い粉塵。
 その白い煙を引き裂いて、ソレはあらわれた。瓦礫や死骸を跳ねのけ、血が絡みついた刃が踊る。その正体はわからずとも、5人はソレが一筋縄ではいかないことをすぐに悟った。
 コイツだ。コイツが、1階で陽動班に大打撃を与えた怪物だ。
 瑠意がすかさずトリモチ弾を撃ったが、驚異的な俊敏さで敵は弾を回避した。トリモチ弾は積み重なった瓦礫にぶつかり、蟲の死骸をまきこんで、たちまち硬化していく。
「い、い、行かせな、い……」
 ヤツが呻いた。
「い、行かせ……ミランダ……行かせない……ぞ……ミランダの……ところ……ろ……」
「……!」
 梛織は、黙っていられなかった。
 その名前を聞いてしまっては。
 前に飛び出した梛織の視界に、ようやくまともにソイツの姿が入る。
 オオカミだった。
 梛織の口から、ほとんど無意識のうちに叫び声がほとばしる。悲鳴なのか怒号なのか、絶望なのか、彼自身にもわからなかった。
 ソレは蟲のようで蟲ではなかった。身体のあちこちから、赤い蟲の脚や触覚を生やした獣人である。血塗れの抜き身を持った右手は肥大化し、レザーパンツを履いた脚も奇妙にねじくれて、オオカミの頭部の口からは、膨れ上がった舌が飛び出していた。いや、舌ではなかった。真っ赤で巨大な幼虫だ。黒い獣毛とレザーファッションに覆われた身体の内側からは、ゾロゾロと赤い幼虫が這い出してきていた。
 この怪物が、つい最近までブラッカという名前であったことを、梛織は知っていた。彼もまた、ミランダのことを思っていた。ミランダのために、なにかできないかといつも考えていた。
「ミランダ……い、いいい、行かせな……ガルルルルル!」
 ブラッカだったモノが、刀を振りかざして、消えた。
 原にはそう見えた。あまりに動きが速すぎて。
「あー、イェータだ! 階段組は足止めを食ってる。先に行ってくれ!」
 イェータは29階に向かった他2チームに無線で言い放つと、トリモチ弾を捨て、ナイフを抜いた。
「理晨、29階に行け! 瑠意と貴志と一緒にな!」
「任せていいか!?」
「当たり前だ!」
 刀とナイフがぶつかり合う音。
 振り返った理晨の目の前に、毒々しい色合いの巨大なムカデがいた。
 理晨が迎え撃つ前に、ムカデは真っ二つになった。二つに分かれて崩れ落ちるムカデの向こう側に、日本刀を振り下ろした瑠意がいた。



「ったく、しつこいしキリないし最悪じゃないの……!」
 フランキー討伐組を29階に送り出したあとは、ほとんど、自分たちの身を守るために戦わなければならなかった。匂いを感知しているのか、はたまたストラばりに気配を読めるのか、一部の蟲が飛びついてくるせいで、風轟の隠れ蓑はボロボロになっていく。
 もっとも、リカはとうに隠れ蓑を脱ぎ捨てていた。かさばる装備は、彼女の戦闘スタイルに向いていない。
 フランキーに操られたムービースターは、なるべく傷つけない方針だった。だから、各自相手を殺す武器よりも、無力化する道具に重きを置いている。しかし、襲いかかってくるのは異様な蟲ばかりで、赤い目をしたスターたちの姿はまるで見えなかった。
『30階で行動中の皆さんへ。29階と28階の間に強敵が現れたみたいよ。応援に行ける人は応援に行ってちょうだい。もちろん私は行くわ』
 エルヴィーネの、いつもと変わらない落ち着き払った報告が入る。彼女は自分の血をホテルの排水管に流しこんでいたから、無線による報告がなくとも、かなり正確に状況を把握できていた。
「わたしも行くわよ!」
『じゃ、ボクもご一緒させてもらおうかな』
 リカの頭上の天井に、サクサクサクッと四角い穴が開いた。スト、とネコのようにジッャクが降りてくる。天井の穴からは、クレイジー・ティーチャーのものすごい哄笑が漏れてきていた。
「屋上はどうなってるの? 大丈夫?」
「こことそんなに状況は変わらないよ、虫でいっぱいさ。クレイジー・ティーチャーは屋上に居座るつもりのようだよ。ま、フランキーに出くわさないかぎり、どこにいても彼は『安全』じゃない? 不死身なんだもの。太助と真船先生も、ヘマするくらいならうまく逃げるさ」
「……ソレもそうだし、もしものときの退路も必要よね……、じゃ、わたしたちだけでも応援に行きましょう」
「ええっと――あのお騒がせなお嬢さんは? コレットって言ったっけ」
「たぶん階段」
「彼女も助けなくちゃいけなかったりして」
 ジャックの笑みと台詞に、毒気も悪気もまったくなかった。しかし、リカは思わず苦笑いしてしまった。


 コレットはひとり、30階の階段で奮戦していた。ほとんど目をつぶってトリモチ弾を発射していたが、運良く大きな1匹を撃ち落とせた。ムカデの姿に似たその蟲が身をよじれば、近くを駆けずり回っていた蟲の脚にトリモチの糸が引っかかっていく。
 29階より下から、オオカミの咆哮と、仲間たちの怒号が聞こえてくる。
 隠れ蓑はとっくに引き剥がされていた。トリモチに足をとられたムカデを飛び越え、襲いかかってきた大きな蟲に、コレットのバッキーが飛びつき、ペロリと一瞬で平らげた。
「トト……!」
 おなかをふくらませたバッキーを抱え上げたとき、大きな腕がコレットを抱え上げた。
「ひとりで何をしておるんじゃ」
「あ……、ありがとう。ごめんなさい……」
 風轟はかまわないとばかりに大きく笑い、コレットを抱えたまま刀を振るった。トリモチで動けなくなっていたムカデが息絶える。まるで首を刎ねられた任下の身体のように、ムカデの傷口から血が噴き出した。
 その血飛沫の向こうから、リカとジャックが駆け寄ってくる。
「おう、下の加勢にゆくのか」
「ええ!」
「ここ、任せちゃってもいいかな? テングさん」
「わっはっは、お安い御用じゃ!」
 ふたりは風轟とコレットを残し、階段を駆け下りていく。
 オオカミの咆哮が聞こえる。


 エルヴィーネは容赦なく銃を撃ち続けた。目の前の怪物が、もとはブラッカという善良なムービースターだったとわかっていても。操られているだけだからと手加減する余裕はまったくなかった。もともと身体能力の高い獣人だったブラッカは、今や、映画の常識すら逸脱したすばやさだ。
 エルヴィーネの掃射で、イェータのナイフで、ジャックの刃で、ブラッカの身体から生えた脚が次から次へと飛んでいく。だが、その身体の肉が抉れるたびに、ブラッカの身体からは醜い肉芽が湧き出てきて、新たな脚や翅に変わるのだった。
「ここで食い止めてやる……絶対に……!」
 ナイフを両の手に持ったイェータが、殺気を孕んだ声を転がす。
 理晨は29階へ行った。フランキーという大敵がそこにいる。これ以上、理晨に向かう敵を増やしてはならない。
 バシッ!
 タイミングを計り、イェータが同時に投げた二振りのナイフは、見事にオオカミの双眸を貫いた。
「ガゥアッ!」
 ブラッカだったモノが、かろうじてオオカミのモノに近い叫び声を上げた。
 しかし怪物はブルブル激しく首を振り、両目から血を垂れ流しながらも、口からはみ出させた幼虫をくねらせ、イェータに向かって突進した。
 その真横から、逆にジャックが化物に向かっていく。ジャキッ、とするどい音がして、ブラッカの両足が輪切りにされた。
「ぐぐ……ガ……」
 切り口から、もはやオオカミのモノでもヒトのモノでもない足が生えてくる。鉤爪を供えた、蟲のもの。しかしさすがに、すぐには歩き出せなかった。白い糸に覆われた床を引っ掻きながら、ブラッカは前に向かって這いずる。
「ミランダ……」
 梛織は彼のうめき声を見下ろしていた。
「ミランダ……ミランダ……ミランダ……ミラ――」
 ゴオッ!
 突然の業火が、ほとんど原型を失ったブラッカを包みこんだ。硬い表情のリカが、火炎放射器のノズルをブラッカに向けていた。
 炎の塊は、まだ動いている。
 エルヴィーネが、アサルトライフルのマガジンひとつが空になるまで弾を撃ちこんだ。
「……ミ……」
 それきり、彼は動かなくなった。
 イェータが息をつき、頬や額から流れ出す血をぬぐう。胸にも腕にも切り傷ができていたが、その傷の存在を、今の今まで本人は知らなかった。
「……ストラ。おい、教えてくれ。ストラ」
 梛織が、くすぶっている炎を見つめながらマイクに声を吹きこむ。
「ミランダ、どこにいる? わかるって言ったよな、ストラ……」
『貴様はマグスか!? リーダーは20針以上縫ったんだぞ!』
『黙れ、ベリンスキー』
 梛織の要請にハーメルンのひとりが猛抗議したが、ストラの一喝で押し黙った。弱々しい一喝だったが。
『……便利屋。あきらめろ』
「……なんだって……?」
『ミランダは……29階だ。ク……、しかも、ハッキリしない……動いたかと思えば消えている……。私の意識が朦朧としているせいなのか……いや、それにしても……奇妙だ。便利屋、……いずれにしても、ミランダがフランキーの……すぐそばにいるのは、間違いない』
「……!!」
 梛織の絶叫は、声にならなかった。無言で彼はヘッドセットをもぎ取る。ソレを床に叩きつけようとしたとき、
『…………、ま、待て……』
 ストラの声色が変わった。
『……注意しろ! ……29階から……敵だ!』


 白い糸と天井の間から、無数の蟲が飛び立つ。ダニよりも多足でありながら、スズメバチのアゴと甲虫の翅を持つ異形の蟲ども。これまで討伐隊を襲ってきた人間大の蟲よりも小さく、その大きさはネコかイヌくらいだ。下水の臭気を振りまきながら、蟲は29階の窓から外に飛び立つ。
 ストラの警告は、屋上に陣取る太助と真船、そしてクレイジー・ティーチャーのもとにもしっかり届いていた。
「アー、HAHAHAHA、チェーンソーも持ってくるベキだったネェ!」
 まるでソレは、黒い霧のよう。
 そして霧は、鉤爪を持つ巨大な腕のカタチになって、屋上の3人に襲いかかってきた。クレイジー・ティーチャーが適当に大ハンマーを振り回すと、黒い霧の塊は羽音を響かせて散らばり、小蟲の群れとしての姿に戻る。
「まずい! 皆の退路を確保しなければ」
「階段と、ジャックが開けた穴……どっちにする? 両方はムリだ」
「階段のほうが無難だろうな」
「よし!」
 真船と太助は、階段に向かって走った。小蟲は大暴れしているクレイジー・ティーチャーに集中攻撃を仕掛けていたが、全力で凶器を振り回す殺人鬼ほど近づきにくいモノもない。ほとんどは亜光速で繰り出されるハンマーをよけきれず、グシャグシャと空中で潰れている。
 階段に向かって走る真船は、ネットランチャーを発射した。ネットはまとめて十数匹の蟲を捕らえて地面に落ちる。蟲がアゴでネットを噛み破ろうとしているのに気づき、太助はすかさずトリモチ弾をネットにぶつけた。ネバつく白いトリモチの中から、無数の蟲の脚が飛び出してモゾモゾしていたが、すぐにトリモチが硬化を始めたために、ピクリとも動かなくなった。
「アハハハハハヒヒヒヒ! HAHAHAHAHAHA! ヒャハハハハハッハハァ!」
「先生! 先生、こっち!」
 真船は必死になって声を張り上げ、屋上のほぼド真ん中で大暴れしているクレイジー・ティーチャーを呼んだ。しかし、血まみれになりながらすっかりハイになっている殺人鬼には、真船の声も、蟲の羽音も届かない。
「ったく、せんせー、ありゃもうダメだ。すっかりキレちまってるもん――って……なんだ、アレ……」
 ザザザザザザサササササ……。
 遠巻きにクレイジー・ティーチャーの様子を見守っていた太助と真船。その視界の中で、蟲の群れが、イワシの群れのように寄り集まり、再びなにかひとつの物体の姿を取ろうとしていた。
 キチ・キチ・キチ・キチ。
「CT! CT、マジでヤバイって! 早くこっち――こっち下がって来い!」
 太助が念のために身につけてきたゴールデングローブが、カリカリとかすかに反応し始めていた。ハンマーを下ろし、クレイジー・ティーチャーは『ソレ』を見上げる。
「まさか……アレは完全に、ディスペアーではないか」
 無数の蟲がひとつになった、その漆黒の姿。
 竜のように首をもたげたムカデのようだ。しかしその脚は、ゲジゲジのように長い。
 奇妙なうめき声を漏らし、ディスペアーはクレイジー・ティーチャーを見下ろして、階段口に立つ真船と太助をねめつけた。
 赤い眼。
 その光は、非常灯よりもどぎつく、覗きこむ者の心に爪を立てる。

(すべては、バランスなのだよ……)
(どうして……わたしだけ……)

 唐突に、まるでロケット弾でも食らったかのように、ディスペアーの姿が破裂した。
 小蟲の群れというカタチに戻ることもなく、竜やムカデに似た怪物は、黒い霧と化した。吹きすさぶ風にさらわれて、絶望の生物が消えていく――。
「し、CT……だ、だいじょぶか……」
「ヘーキだよ。アイツ、デッカイ図体のクセに、なんにもしてこないんだモン」
 おずおずと尋ねた太助に、クレイジー・ティーチャーはニッと大きくいつもの笑みを返す。
 真船はようやく息を吐き出した。自分が息を止めていたことに気づかなかった。ネットランチャーを持った手が、汗でびっしょりだ。

『ヘイ、ガイズ! 殺ったよ! ターゲットを撃破した!』
 屋上にいる班に、階段にいる班に、ヴェロニカの報告が入った。


                     ★   ★   ★


 赤い目の蟲たちが、バタバタと倒れる。30階を飛び回っていた黒い小蟲は、音もなく黒い霧に変わり、窓や壁の穴から外に流れ出ていく。しかし、ホテルを覆う白い糸はそこにとどまりつづけた。床に、天井に、壁に飛び散った赤い血も、けっして消えようとはしない。
 いくら待っても、姿を歪められた赤い目のムービースターたちがもとに戻ることはなかった。赤い目のまま死んだかれらは、ゆっくりゆっくり時間をかけて、黒いプレミアフィルムに変わり――そしてボロボロと、跡形もなく消えていった。
 しかし。
「あれ……?」
「お、どうした? もう満腹だってのか?」
 理晨と赤城のバッキーが、まだ黒い塊が残っているのに、腹を膨らませてその場に転がった。ちいさくゲップをしているので、もうこれ以上は食べる気がないようだ。
 バッキーが食べ残した黒いタールの塊は、モゾモゾと蠢いていた。
「ミランダ……! ちくしょう、ミランダ! ミランダはどうなったんだ!?」
 階段から、ボロボロになった梛織が29階に駆けこんできた。
 フランキー討伐チームがぐったりと座りこんでいるのを見回し、梛織はしばらく立ち尽くしたあと、ゆっくり膝をついた。8人の表情が、梛織の問いに対する答えだったから。
「こんな……こんなのひでぇだろ……、こんな――」
「待って。……見て」
 リゲイルが息を呑み、蠢く黒い塊を指し示す。
 プツプツ泡立ったかと思うと、肉塊は黒いモヤになって消えていき――そこに、細身の女が横たわっていた。
「ミランダ!?」
 ソレはまさしく、ミランダにちがいなかった。だが、その美しい顔の半分は爛れていたし、右腕も肩口からちぎれてなくなっている。そして、梛織に抱き上げられて大きく息を吹き返したあと、頭を抱えてわめき出した。
「ぅぅうああああ、あああああ、わた、わたし、邪悪! ぁああああ、ぅあああああ……!!」
 梛織に遅れて駆けつけてきていたイェータは冷静だった。念のために持ってきていたワイヤーで、ミランダを拘束する。
 梛織は、喜んでいいのか悲しんでいいのかわからなかった。
 ミランダはなんとか救い出せた。しかし彼女は、狂ったムービーキラーのままだ……。


 ケイン・ザ・クラウンが、フラフラとホテルの外に出る。
 作戦が終わったことはすでに市民たちに知れ渡っているようで、救急車やパトカーの赤いパトランプがそこらじゅうで回っていた。深夜だというのに、野次馬も多い。
「だれか……、だれかぁぁ。ケガ人……中に、大勢……います、だ、よ……」
 太っちょピエロは声を絞りだし、ボテ、と地面に転がった。彼は不死身なのに、なぜか今は傷の治りがひどく遅いのだ。皮肉なことに、彼が真っ先に救急車に押しこまれた。
 救急隊員たちが駆けこんだホテルのロビーは、まさに地獄絵図だった。
 無数のプレミアフィルムが血の海の中に転がっていて、ヤクザやガスマスクがうめいている。エルヴィーネがたたずみ、ゆっくりと傘を回している。
「すとら、おい……! 救急車来たぞ、しっかりしろ!」
 ストラは階段口のそばで倒れているのを見つけ、太助は駆け寄って声をかけた。ガスマスクが何人も彼のそばで座りこんでいるのがいい目印だった。ストラは刀傷を負っていて、応急処置はしてあるようだったが、ほとんど身動きが取れないようだ。うっすら目を開けて、彼は太助に尋ねる。
「作戦は……」
「しゃべんなよ。もう報告、しなくていいんだから。……おつかれ。ありがとな」
「……、同志を……、先に……、ドミトリと……ブレイフマンが……」
「リーダー。その……ドミトリは、もう――」
 傍らのガスマスクのひとりが、震える手で、血まみれのプレミアフィルムを差し出した。
 ストラは大きく青い目を開いて、手を伸ばした。プレミアフィルムに指先が触れた。彼はなにか呟いたが、太助にはその言葉の意味がわからなかった。
 ストラの手が床に落ちる。
 ガスマスクが全員一斉に狼狽したが、幸いストラはフィルムにはならなかった。
「――なによ」
 その光景を見ていたリカが震える声で吐き捨てる。
「なによ、全員にもう1回ババ食べさせてあげるつもりだったのに。ついでに1杯おごってあげたってよかったのよ」
 そばにいたエルヴィーネはなにも言わず、そっとその場をあとにした。
 途中、涙ぐむ真船と男泣きしている赤城とすれ違ったが、彼女はやはりなにも言わなかった。
 いつもよりもかたい面持ちで、ホテルから出た明日はパトカーに向かう。彼女の報告で、救急隊員と警察がホテルの29階を目指して動き始めた。
 さらわれた人々は、ひとりも助けられなかった。突入する前に、皆、殺されていた。明日の報告は、ソレと同義だった。


 竹川導次は、白い糸の絡まったロビーのソファに腰かけ、キセルで一服していた。彼もまた無傷ではなかったが、討伐隊の中ではまだ軽傷だ。
「お、いいのう。ワシにも一服させてもらえるか?」
 歩み寄った風轟に、ドウジはチラリと一瞥をくれて、無言でキセルを手渡した。
 フウ、とふたりは大きく紫煙を吐く。
「……義兄弟は、残念じゃったな」
「……」
 ドウジはしばらく虚空を睨んでいたが、やがてゆっくり首を横に振った。
「コレで楽になったやろう。結局、俺らがキラーになる言うんは、苦痛でしかないっちゅうことや」
「ウム……、しかし、あの若造はどこまでおのれの意思で動いておったのかのう……」
「若造?」
「わっはっは。ワシから見れば、おぬしもフランキーもみな若造じゃ」
 ドウジはそこで、やっと笑みをこぼした。
「若造の考えるこたァ、ちょっとやそっとじゃ理解でけへん」


 スターヒルズ・ホテルの前から、野次馬と赤いパトランプが消えたのは、午前5時をまわってからだった。
 救出されたミランダは、再びアズマ研究所に収容されている。
 彼女を見守る人々の中に、ブラッカの姿はもう、ない。


 ホテルの中に充満する、澱んだ悪臭は、何日経ってもいっこうに消える様子がなかった――。
 絶望の中、スターヒルズ・ホテルは、永い休業期間に入った。
 再開のメドは立っていない。

 

クリエイターコメント龍司郎です。このたびはフランキー討伐作戦、ほんとうにお疲れ様でした。幸いPC様には特に大きな被害もなく、ムービーキラー・フランキーを討伐することに成功しました。
ブラッカのことが完全にスルーされていたこと、モブに200体以上相手に陽動を任せたことから、龍司郎のNPCにのみ大ダメージです。PC様が傷つかなくて幸いでした。

18名様が途中まで全員いっしょに行動しているため、『キール・ロワイヤル』『ブラッディ・マリー』共通部分が多いです。お時間があれば、個別部分も合わせて読んでみてください。今後の展開を示す情報が入っているかもしれません。
大変失礼ながら、クリエイターコメントは共通とさせていただきます。ご参加、本当にありがとうございました!
公開日時2009-01-15(木) 23:00
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